カメ散歩の日記

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<脳と文明>の暗号 言語と音楽、驚異の起源 のメモ

書籍名

<脳と文明>の暗号 言語と音楽、驚異の起源 マーク・チャンギジー 訳 中山 宥 ハヤカワ文庫 2020/12/15

気になった部分

序章 読む力は本能なのか?

  • 人間にとっては読む能力が本能であるはずはない。何しろ、文字はごく新しく、数千年前に発明されたばかりだ。
  • 文字を読むという用途に合わせて脳ができているのではなく、文字のほうが脳の仕組みに合わせて作られたということだ。
    • 前著のおさらいになるが、文字は自然界に普通に存在するものの特徴を切り出したものであり、もともとヒトの脳内にある機能を利用しているということ。個人的にはとても説得力があると感じ、納得。

第1章 能力のリサイクル

  • 「人間の話し言葉は、個体の物理現象と音が似ている」
  • 「音楽は、人間の自然な動作(たいがいの場合、何かを表現しようとする動作)に伴う音に似ている」
    • 本書の2大テーマである、これを読者に納得・理解してもらうために本書は書かれている。
  • 脳の”想定利用”と”想定が利用” ときに光の点滅がてんかんを引き起こすのは、おそらくそういった想定外利用の弊害と思われる。
  • あるメカニズムの想定外利用は無数に可能性があるうえ、メカニズムがその場その場でどう作用するかを一概にまとめることはできない。その点、ペンが正規の機能を果たす際にメカニズムがどんな働きをするかであれば、簡潔にいえる
    • 「本来の目的」というとそのような目的のために意図して作られた感じがするが、人を含めた生き物は自然選択の結果ある目的に合致する機能・能力を持つようになる。そのため、より「想定外の使い方」の余地があると思う。とはいえ、最適な使われ方に近い使われ方をすればより効率よく機能することは明らか。
    • 本書の趣旨からずれるが、あらゆるものが「想定外の利用」「想定しない副次的効果」というものがある。これがたまたまうまくいってしまうこともある。でも確率は低い。
  • 「自然界→脳→文化」の流れから脳を外せば、自然界と文化だけが残り、文化が自然界を模倣しているという仮設に焦点を絞れる
    • とてもうまい問題への取り組み方。現在ではまだよく仕組みがわからない脳を除外することで、より精緻な論理的な骨格ができる。

第2章 言語は”ぶつかる”

  • 人間の耳や聴覚器官は極めて巧みで優秀な構造になっており、身の回りで何が起きているかを感じ取って理解できるのだ。
  • 聴覚は「何が起こったか?」をつかむのに向いている。
    • 言われて改めて気づいたが、たしかに目をつむっていても周りで起こっている物理的な現象についてはかなりの精度で把握することができる。方向、距離、位置関係、素材、重さ、強さなどが把握できる。自身対する危険度も推測できる。これほど優れた能力を流用して話し言葉を成立させるのはとても効率的だ。
  • 自然界の音素 私たちが耳にする出来事のほとんどは、たった三つの構成要素で成り立っている-すなわち、”ぶつかる” ”すべる” ”鳴る”。
  • 私たちは”ぶつかる””すべる””鳴る”で言葉をしゃべっているのだ!
  • 逆回転で再生すると、自然界の音は普段と違って聞こえる。
    • 普段の身の回りで聞こえる音かそうでないかはすぐに分かる。その精巧な聴覚を有効に使うのであれば、普段身の回りで聞き慣れているものを組み合わせるように話し言葉(文化)をあわせるほうが短期間で適応できるのも納得。

第3章 メロディーの原材料

  • 音楽の起源を巡る議論 脳:ヒトにはなぜ音楽のための脳があるのか? 感情:音楽はなぜ感情に訴えるのか? 踊り:私たちはなぜ踊るのか? 構造:音楽はなぜ現在のようなかたちになっているのか?
    • 著者が言うように、上記4つに対して妥当だと思える説明がつくのであれば確かに説得力のある理論だと言ってよいだろう。ただ、個人的に「踊る」という行為の体験が非常に乏しいので、音楽と踊りという部分のつながりがイマイチピンとこないのがあ残念。日本人はあまり踊らないよね?私だけ?
  • 私たち霊長類は、話し言葉以外の声(叫び声、割超え、金切り声、うなり声、うめき声、ため息など)をはるか昔から発し続けてきたわけで、言葉ではないその種の声を聞き分けるための神経回路なら、間違いなく持っている。
    • 話し言葉以外の声をもとに感情や状況を把握することはもとからできているはず。感情に触発された結果思わず出るような声に近い音であれば感情に訴えることは可能だろうし、音をもとに状況を思い起こさせることもできそうだ。声で状況を伝える、その他の霊長類や鳥など向けの、いわゆる「ヒーリングミュージック」的なものを創ることはできるのでは?誰かこのような試みやっているような気もするが、あまり話題になっていないのは「できない」からかな。
  • 目と耳の連携プレー ほとんどのミュージック・ビデオは、人が動いている姿を映し出している。
    • 音で視覚を騙す、映像で聴覚を騙すという実験結果は聞いたことがある。聴覚と視覚は周りの状況を認識・推定する際には相互補完の関係にあるんだろう。そういった上で、ミュージックビデオの多くに人が出てくるというのは、音楽と人が密接に関係しているというのは納得。モノをテーマにした音楽はやっぱりあまり流行らないと思う。流行っている音楽はほとんど人を扱っている。

第4章 音楽は”歩く”

  • 私たち人間が動くと、特徴的なリズム、音高や音量の変化を残すことになる。
  • 音楽の核はドラム 音楽は、足音に近い拍子を備えている必要がある。 第一に、音楽の拍子の間隔は普通、毎秒1回か2回。人間の足音のリズムと同じだ。 第二に、これまた足音に似て、音楽の拍子は、メトロノームのような正確さを要しない。 第三に、人が立ち止まりかけると、足音がだんだんゆっくりになるのに対し、音楽も、曲の終わりに近づいたときに速度の低下が起こりやすい。
  • 人間が歩く場合、たてる物音のうち一番低い音が足音である可能性が高い。そうなると、音楽についても、拍子にあった音は、外れている音よりも低音だと予想できる。
    • 私はよく散歩をする。足音が音楽のリズムの起源だということは、体感的にとても納得できる。昔の人類が、仲間と歩きながら足音の拍子に合わせて声を出している、という様子が自然に思い起こされる。音楽に対して「疾走感」「立ち止まる」というような形容をすることもある。また、音楽のベース音やドラム音(太鼓の音)が個人的にとても好き。ヒト全般に言えるのかどうかはわからないけど、音楽のキモはリズム。アカペラの独唱よりも太鼓だけの独奏のほうがずっと魅力的。

終章 私たちは何者なのか?

  • 言語や音楽を始め、高度に文化的な進化を遂げた知識の総体が、遺伝子や生息環境と同じくらい現代の人類を形成する素になっているのだ。
    • ヒト(脳)が文化を作り、文化が脳に適合するように変化し、その文化に適合するようにヒト(脳)も変化する。とても当たり前なことだけど改めて気づきを得られた感じ。

雑感

一般の読者に対して語りかけるように話が進んでいく。翻訳された場合はややぎこちなくなったりすることも多いが本書の訳語は違和感がなくスムーズ。ちょっと恥ずかしくなる体験や妄想をコミカルに披露するなど著者の飾らない人柄が文章から伝わってきて、著者との距離感がぐっと縮まる。

前著もとても面白く読めたのだが、本書もそれに負けず興味深く読めた。本書は「言語」と「音楽」の二つの領域を扱っているが、それぞれ前半でポイントとなる著者の説が示され、後半で一般向けにもわかるように優しく丁寧に解説をしてくれる構成。アンコールと称する章を設けてさらに詳細な解説もある。もちろん後半も十分楽しめるのであるが、ハイライト的に「ほ〜、そうなんだ!なるほどね」という部分だけを楽しむのであれば、それぞれの前半部分だけを読むのでも十分だろう。

個人的には「言語」の方が「音楽」よりも楽しく読めた。それは私が音楽の素養がなく、楽譜や音楽に関する用語での説明にいまいちついていけなかったことが原因だと思う。解説はどちらも十分に丁寧なのだが、音楽の方の解説は、私が頭の中で樹分再現できず、途中で疲れてしまったためだと思う。言語の方は十分な解像度で頭の中で解説を理解することができた。

読むことになったきっかけ

著者の前作「ヒトの目、驚異の進化−視覚革命が文明を生んだ」を以前読んでおりとても興味深かった。本書を書店で見つけて内容をパラパラと見たところ、同じ著者だとわかったため購入。