カメ散歩の日記

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ブループリント(下) のメモ

書籍名

ブループリント(下) ニコラス・クリスタキス 鬼澤忍・塩原通緒 訳 ニューズピックス 2020/9/17

気になった部分

第7章 動物の友情

  • 安定したリーダーシップはリーダーと追従者の間だけではなく、追従者どうしの平和的な関わり合いも促す
  • 集団のリーダーが排除されると、ネットワークの周辺と中心にいるメンバーが権力を得ようと画策するため、多くの争いが生じる。しかし、リーダーが鎮座していれば、争いは減り、高位の猿と低位の猿のつながりが増す。
  • リーダーが存在するほうが、社会的に孤立した追従者は、上昇志向者からの仕返しを恐れずに集団内の人気者に近づきやすかった。
    • 国家の存在と似ている。どちらも「ないよりはいたほうがマシ」全くない状態が最悪の場合が多い。
  • 私たち(人間)は「さようなら」という唯一の種で、他の種にはいかなる別れの儀式もないように見える。しかし、「こんにちは」といったり特定の挨拶行動をしたりする種は人間だけではない。実は、友情の絆を結び維持するのに未来の予測は必ずしも必要ではない。必要なのは「過去」を記録する認知能力だけだ。
    • 未来の予測は高度な認知機能。AIにおいても長期の予測、因果関係の推測、段取りなどは苦手。
  • 人間の美徳の大半は社会的美徳である 人は、愛、公正、親切を大切にする限り、それらの美徳を他の人々に関していかに実践するかを大切にする。
    • メンタルヘルスを患った人に対して「もっと自分を大切にするべき」ということが多いと思うが、これは要するに「もっと人間らしさのレベルを落として、より野生の動物に近いレベルから見直していきましょう」ということか。

第8章 友か、敵か

  • 近親者だけの集団では、ある特定の状況に対処するのに必要な技術や、知識や、能力が欠落している可能性もあるだろう。特に、その血縁集団が非常に似通った遺伝子と特徴を共有しているのならなおさらだ。非血縁者とのつながりは、新しい発想や、その他様々な資源を手に入れるための唯一の道であるのかもしれない。だとすれば、血のつながりにとらわれない様々な絆は、文化を生み出して保持するという人類ならではの能力が修出現るにあたって、特に重要だった
    • 企業が「成長するためにはダイバーシティが必要」ということと類似。企業に属する社員間に血縁はない。
  • 友達同士は刺激に対して非常に似通った反応を示していた。つまり神経学的にいって、友達同士は自分の周りの世界に対して同じように認識し、解釈し、反応するのだ。
    • 阿吽の呼吸。コミュニケーションの省略、効率化。びっくりすることが少ないので心理的に楽。人間は楽な方に流される。
  • 人にはひそかな友達は少なくても、密かな敵は少なくないことが明らかとなる。人はお互いへの友情ならば高らかに宣言するが、敵に対しては敵とは言わない可能性が高いのである。
    • 友を明確にするメリットは理解できる。敵を明確にすることのメリットはあるのか?単にそれが理由では。
  • 集団の境界線とそれに伴う内集団バイアスは、何らかの課題を共有することによって広げられる。その広がりが、もっと大きな規模での協力を促すのである。
    • 普遍的な事実と言える。
  • 比較文化研究の成果から、内集団バイアスも、「われわれ」と「かれら」との区別の重視も、集団帰属の重要性を強調して個人を集団に組み込もうとする集産主義社会(共産主義者会も含めて)においてのほうが、自主性を重んじる(そして社会的相互依存が比較的少ない)個人主義社会においてより、顕著に見られることがわかっている。同じように、個人が自らのアイデンティティをしっかりと身にまとえて、なおかつ一定の枠にとらわれずにいられる社会ほど(たとえば宗教面で相容れない人々が同一の政党に所属できるなど)、それだけ部外者を、ひいては誰をも許容できる社会になるのだ。
    • もっとアメリカが差別や偏見に対して寛容であっていいと思うのだが、実際はそうなっていない。日本人の目から見た日本はアメリカよりも差別・偏見が少ないように感じる。ただし、これは外国人の目から見た日本だと違っているかも。あるいは、日本においても差別・偏見は多いが、日本のほうがアメリカと比べて社会問題化している程度が小さいだけかもしれない。
  • 自分の生きる物理的環境をそっくり背負って移動するカタツムリと同じように、人間もまた、友達と集団からなる社会的な生息環境をどこに行くときでも保持している。この社会的な保護殻に包まれていればこそ、私たちはとんでもなく多種多様な条件下で生存できるのだ。つまり私たち人類という種は、友情、協力、社会的学習に依存するよう進化したわけである − たとえこれらの麗しい資質が、烈火のような競争と暴力から生まれたのだとしても。
    • 人間の種としての強み。ただ、これは「高度な知能を持った生命体」であれば普遍的なのだろうか?高度な知性を持っているが、我々のような「社会性一式」を持っていない生命体集団というのは存在する(しうる)のだろうか?

第9章 社会性への一本道

  • 悲嘆にかんして最もそれらしいと思われるのは、生きている血縁と引き離されると気分が悪くなるように進化した人間の心理体系の副産物だという考え
    • 配偶者や友達やペットも同じだろう。現代の人間において「血縁」というのは容易に他のものに行いうると思う。アイドルであったりアニメのキャラクターに取って代わりうる。もともと遺伝子に組み込まれた時の状況と、現在の私たちの環境が異なりすぎている。
  • ゾウ大集団で悲嘆に関連した兆候を示すことは実際に確認されている。 個体群レベルでの精神病理学的な症状は、密猟の広まりと生息環境の喪失により、アフリカ全体で大量にゾウが死んだことと関係しているように思われる。1900年から2005年までにゾウの個体数は1000万頭から、たった50万頭にまで激減した。人間の場合、メンタルヘルスの専門家が「歴史的」トラウマ、「世代間」トラウマなどと称するように、戦争や奴隷化や飢饉による大量死が、のちの世代に根深い集合的な心労を負わせることがある。これにならえば、ゾウ社会における仲間の喪失、それがもたらす悲嘆の規模と程度が、暴力によって荒廃した地域で生き残った人間の間に見られるPTSDの異常なほど高い割合と比べても遜色なかったとしても不思議ではない。
    • まるで黒人奴隷に関する歴史的事実を読んでいるようなショックと不快感。イルカやクジラも同じかもしれない。彼らはゾウに比べて観察しづらいという理由からわかっていないだけかもしれない。
  • 他人とのつながりや協力があるからこそ、人間は他人から学ぶことができ、それをまた土台として、次は自分から他人に教えることへの興味と意欲を進化させる。教えることは教える側にコストを負わせる一方で、必ずしも利益をもたらさないから、これはまさしく一種の利他行動だ。この全てがあってこそ、ひとつの最終的な奇跡が可能になる。すなわち文化の才能だ。
    • 現代は「文化」が人間の環境の大半を占めているといっていい。文化は自然環境や物理的な成約よりも柔軟で素早く変化する。人間の体や認知能力、情報処理能力が追いつかない。でも遺伝子に組み込まれている作用は働き続けてしまう。

第10章 遺伝子のリモートコントロール

  • 人間社会の主要な特徴は、遺伝子的にコードされているということだ。私たちの祖先は自分たちが占める社会的ニッチを作り出し、そのニッチが人間の進化環境の一部になって、人間がこんにち持っている遺伝子を修正するフィードバックを果たしてきた。親切であることの利点は、個人が他の(好ましい)人間に囲まれている環境でこそ大きくなる。
    • 人間が支配的になればなるほど、人間の存在(コミュニティーや社会の存在)が前提となった変化が受け入れられる。単独で荒野に生きることは想定されない。
    • ただし、これはあくまで「そのほうが確率が高い」というだけで、今でも未開社会での生活をすることは可能である。そのような、少数の人と多数の人が時々混じり合うことが相互牽制的になり、どちらかが一報を完全制圧することはないだろう。たとえば、多くの人が平和主義適しそうにしまって兵器自体を破棄することに賛成し、実際に武力を持たない状況になったとき、一部の暴力的なものが武力行使によって圧倒的に支配を確立するというようなことを避けるためにも、相互牽制は有用。
    • 民主主義、自由主義、資本主義をよりよく発展していくためにも、その他の主義・主張を唱える人たちの存在を許容し、互いに牽制し合うような状況は有用だと思う。
    • ただし、個人が自由に主義主張を発し、移動の自由が保証されるという前提のもと行われるのがいいと思う。←自分で書いていてモヤモヤする。矛盾含み。
  • ゲノムのたった3つの領域に集中している少数の遺伝子群で、出入り口からのトンネルの長さが決められることがわかったばかりか、ゲノムのたった一つの領域が、おそらくはたった一個の遺伝子により、脱出トンネルの有無をコードしていたのである!
    • 脳に直接電極刺激するだけで、性的指向が変えられる(らしい)ということもあり、その電気刺激の発信や受容のしやすさをコントロールする程度の変化ならば、一つの遺伝子で変更されるということも有り得そう。
  • 生物界全体が、互いに密着してはいなくても、互いに作用しているネットワークとして見えてくる。
    • 生物が存在することが結果としてその周りに物理的な変化を及ぼす。そして、他の生物も自分の周りの物理環境を前提に生きていく。自分の手に届く範囲の物理現象や物質を入手することで活動をしていく。結果として相互作業を起こしながら変化していく。継続的な変化の流れが形成できれば進化という動きも生まれる。
  • 話す能力のようなものは、「ネットワーク利点」と呼ばれる。つまり、それを共有する人の数に比例して価値が高まるということだ、ネットワーク利点の一例が電子メールアカウントである。
    • 物理的な変化・作用をより上位レベルに引き上げたもの。コミュニケーションはかなり応用的な作業と言える。ある程度高度のな知的活動を前提。
  • 家畜化は、人間をただ従順にするだけでなく、他人に対して気を配るようにさせ、ひいては訓練や社会的学習を敏感に受け入れられるようにするような神経学的変化を促してきたのかもしれない。
    • 一方でこのような影響を受けずに代々生きている人々もいるはず。

第11章 遺伝子と文化

  • 文化は累積する
    • 個としての人間の生存期間の制約を受けない。文字やコードなどによって蓄積されることが可能。あるいは、周りに存在するであろう人間たちの脳の中に記録され、コミュニケーションを通じて伝達される。
    • 人間の知性に相当する人工知能と人間のような身体を物理的に獲得することができたのであれば、それ単独で蓄積と進化ができるのだろう。遺伝子のような情報がなくても単に「設計」を変えることで身体(マシーン)を変化させ続けることもできるだろう。まあ、SFの世界や科学者たちも同じようなことは考えているし、問題視もされている。あと何年後の話なんだろう?でもあと100年ぐらいしたらできている感じもする。
  • これが累積的な文化である。人は知識という人類ならではの蓄財に絶えず貢献し、各世代が生まれるごとに、総じてその富は以前より増えている(もちろん定期的な逆行もある。<略>)多くの社会科学者は、これが経済成長の最も深い起源に違いないと考えている。
    • 誰のための経済成長かが問題。一部の資本家しか享受できないのか、全人類が比較的平等に享受できるのか。格差の解消は重要。資本とテクノロジーへのアクセスの両方において。
    • 何のために?個としての人間が「幸せだ」と感じるために。結局そうなると人間中心に回っていく。人間との関わりの少ないもの・生き物は無視される。
  • 文化と遺伝子は「共進化」する 遺伝子と文化を合わせて考える見方には、3つの重要な要素が含まれている。(1)文化を生み育てる人間の才能は、それ自体が自然選択によって形成された適応だ(2)文化そのものが、自然選択の理論と似たような理論に従ったプロセスを通じて時間とともに進化できる(3)文化の相続システムそのものが、人類の進化風景の特徴となって、人類に対する自然選択の力をふるっている
  • ヒトゲノムにあるおよそ二万個の遺伝子のうちの数百個ほどが、過去一万年から四万年の間に、影響力の絶大な文化的変化(畜産、都市化、結婚ルールなど)に反応して急速に進化してきたのだと見られている。しかも進化のペースは早くなる一方で、これらの遺伝子変異の多くはかなり最近の、ここ何千年という期間で起こったものである。
    • 自然選択に則り、文化に適合した人ほど子孫を多く残せる。蓄積した文化で改善・矯正できるものは大したものではない。文化的な矯正に寛容であればあるほど子孫が残せる?幸せだと感じる?
    • 「何が生き残るべきか」という問いは無意味。誰が決めるのか?

第12章 自然の法則と社会の法則

  • 全世界の人間はみな、ある一定のタイプの社会を作るように最初からできている。それは、愛情と友情と協力と学習に満ちた社会である。
  • 確かに社会にはあまたの不備がある。それでも社会の善性を信じることはできる。<略>私たち人間の中に根本的な膳が備わっているのを認識すればこそのものである。
    • 著者の主張に同意する。

雑感

上下巻を通じてだが、個々の主張に新規さはない。だが、多くの事例を持って示される論拠はとても説得力があり、その総体として本書の主張に私は同意する。 こんにち多くの違いが強調されるが、もっと同じ部分に目を向けたい。このスタンスはいかなる生活の一側面をとっても有用なアドバイスだと思う。 家族、友達、会社の仲間、政治的スタンス、プロジェクトの方向性・・・これらにまつわる「違い」よりも同じ部分に目を向けたい。

読むことになったきっかけ

上巻と同時に購入したため省略